弾幕らない裁判



「い、嫌っ! やめて、たすけ――」
 女性は、再現できうる限りの必死の形相で叫んだ。しかしそれも虚しく、女性の叫びは扉の閉まる重々しい音によってかき消された。その途端、先程まで響いていた怒声やら悲鳴やらが無くなり、部屋には静寂が戻る。
 そんな静かな空気を慈しむように、部屋の主――四季映姫は、ゆっくりと息を吐いた。
「ふぅ、今日はこれでお終いね」
 今までずっと座りっぱなしだった椅子から立ち上がると、うんっと背伸びをする。
 まだあどけなさの残る顔立ちに、悲しいくらい小柄で華奢な体。一見するとごく普通の少女が、幻想郷最高の裁判長である【閻魔】その人であると言われて、誰が想像できるであろうか。
 実際、死者に対して始めに「自分は【閻魔】だ」などと言うとかなり驚かれ、そのほとんどにいやいや冗談だろうと否定される。
 しかし、およそ目の前の少女に似つかわしくない、暗い青を基調とした服と重々しく金があしらわれた冠。裁判の途中で述べられる、生前の善行・悪行の数々。
 そして何より、圧倒的な威圧感を持った厳粛な態度に、この少女――四季映姫が、間違いなく【閻魔】であると、死者たちは思い知らされるのだ。
 先程の女性も、始めは映姫を【閻魔】と信じず、裁判を進めるのに手間取ったものだ。なにせ「自分は無神論者」と言い放って、こちらの話を聞こうとしなかったからである。最後の段階である判決時に【地獄行き】が決定した時になって、やっとそれなりに聞き入れる態度になったが、時既に遅しである。哀れにも女性は、最後の最後で醜く喚きながら、地獄へと堕ちていった。
 尤も、仮に女性が始めから、映姫に対して友好的な態度をとったとしても、判決が覆ることはなかったであろうが。
「まったく、最近は【今良ければすべて良し】と思う人間ばかりで……困ったものね」
 はあ、とため息をつきながら、映姫は再び椅子に座りなおす。
 別に【今を大切に生きる】という人間が勝手に編み出した理想を、映姫自身はそう悪いものだとは思っていない。だがその【今】にだけ固執し過ぎているのは、やはり度し難いものだ。生前と生後の両方を踏まえてこそ、本当の【人生】だというのに。
 おまけに最近では、その【今を大切に生きる】を【自分勝手に生きる】と勝手に勘違いしている人間が多いから、呆れて物も言えない。
 女性も、その勘違いした人間の一人だった。自分勝手に行動し、それによって他人を不幸に陥れ、挙句の果てに自分はのうのうと生き延びたのである。それによって、生きた時間より長い【死後の苦痛】を与えられるとも知らずに……
「……さて、少し小町の様子でも見に行きましょうか」
 外の人間、それも判決が終わった者の事を考えていても、時間の無駄である。
 部屋を後にした映姫は、ここには居ない、サボタージュ癖のある部下の元へと飛び去っていった。



 ◆◆◆



 無縁塚。
 普段は静か過ぎて不気味なこの場所も、三途の川を渡る順番を待つ大量の魂と無尽蔵に咲く彼岸花の影響で、それなりに賑わっていた。
 尤も、死神である彼女――小野塚小町にとって、この無縁塚が賑わうということは、何一つ嬉しいものではない。むしろ、余計な仕事が増えて鬱陶しいだけである。何せ、今日一日を仕事に費やしても、魂の数が一向に減らないのだ。いや、実際には減っているのだろうが、そうとは思えないくらい、まだ大量の魂が残っていた。
「はいはい、今日は終わりだからね〜。悪いけど、あんた達はまた明日ね」
 気の早い魂が我先にと船に乗ろうとするのを、小町は気の無い呼びかけで制する。一瞬、船に向かおうとした魂の間に剣呑な空気が漂うが、小町が一睨みするとすごすごと引き下がっていった。
 まったく、焦っても仕方がないのに。
 今日は小町にしては珍しく、丸一日を仕事に費やしたのだ。それなのに残業サービスまで進んでやるなど……はっきり言って、まっぴらゴメンだった。明日できる事なら、今日中に無理矢理する必要など無いのに。
 尤も、他の死神達は半端じゃない魂の量を少しでも減らす為に、連日残業の日々を送っているのだが……小町にとってそんな事は、まったく関係ない事なのである。
「しかし、四季様の仕事熱心さには、ホトホト参っちゃうよなぁ……」
 ここには居ない、年中裁判中な上司の鬼の形相を思い浮かべて、小町は嘆息する。否、実際には鬼など比べ物にならない程、恐ろしいものだ。あの上司と比べてしまっては、鬼も可哀想である。
「あそこまで仕事一筋だと、いざって時に誰もお嫁に貰ってくれないって――」
「あら、それは誰の事かしら?」
「きゃん!?」
 いきなり背後から聞こえた静かな問いかけに、小町はちょっと可愛らしい悲鳴をあげてしまった。尤も、その顔は一瞬で蒼白へと変わってしまっているが。
 恐る恐る、ギクシャクとした動きで振り返ろうとする。正直言うと、後ろを振り返りたくなかった。出来るなら、このまま何処か遠くへ逃げ出したかった。でもそれが出来ない相手だとは、長年部下をやっている小町自身が一番よく分かっていた。
 緩慢な動きでそーっと後ろを向くと――
 案の定、そこには上司である四季映姫、その人が立っていた。
「今日は珍しく、しっかりと仕事をしたのね。久々に、貴方が部下だという事を誇りに思いましたよ」
 にっこりと、優しく微笑みかける映姫。もしこの場に何も知らない者が通り過ぎたとしたら、その者がちょっと幸せな気分になれそうな、そんな微笑だった。
 だが、微笑みを向けられた当の本人である小町には、締め付けられるような恐怖と嫌な汗しか与えてくれない。
 何故なら彼女には見えているからだ。上司の柔和な微笑みの少し左上にこっそりと、しかしくっきりと浮かんでいる一筋の青筋が。よくよく見ると、多少口元が引きつっているようにも見えるし、うっすらと細められた奥の瞳はまったく笑っていない。
 そこまで観察している内に、何だか小町は無性に泣きたくなってきた。
「ところで、さっきも聞いたけど『お嫁に貰ってくれない』というのは、誰の事なの――」
「済みません済みません!」
 三十六計逃げるにしかず。
 脳裏に一瞬そんな言葉がよぎったが、今となってはどうでもいい。【距離を操る程度の能力】で一気に映姫との距離を離して、その場から逃げ出した。
 逃げても無駄に終わるかもしれないが、どうせあのまま神妙に突っ立っていても、悲惨な結果が待っている事に変わりはないのだ。それなら一縷の望みをかけて逃走するのは当然だろう。とにかく何処かへ逃げて、四季様の機嫌が直るまでじっとしていよう。あるいは幻想郷に住む誰かに、説得を任せてみるのもいいかもしれない。いや、あるいは――
 と、刹那の間にいくつもの言い逃れやら言い訳やらを考えていた小町だったが、それもすぐに徒労に終わった。



 空。
 無縁塚の、どこか薄暗い陰鬱な空のあちらこちらに、ちょっとした変化が現れた。
 渦の様なものがぽつぽつと、幾つも出現したのだ。やがてそれは歪な裂け目となり、メキメキと音を立てて広がり始める。
 魂達が興味深げに、しかし恐る恐る見守る中、裂け目はどんどん大きくなりそして――

 恐るべき速度で、大量の【何か】が飛び出した。

 棒状で色鮮やかな【何か】は幾つもの裂け目から無尽蔵に、しかしこの場から逃げ出そうとしている小町だけに正確に襲い掛かる。
 事態に気付いた小町が走りながら後ろを振り返り、ひっと小さな悲鳴をあげた。その壮絶な光景に耐え切れなくなったのか、両の目からぶわっと涙がこぼれる。
 最早、言い訳を考えている暇などまったく無かった。そして【距離を操る程度の能力】を使う余裕も無かった。
 轟音をあげながら、恐るべき速度で迫るその【何か】は、小町との距離をあっという間に縮め、さらにぐんぐんと迫ってくる。
 そして遂に、という時になって小町はようやく、自分を狙う【何か】の正体を知った。

 色が鮮やか過ぎる事以外は普通の、ただの卒塔婆だった。

 それが卒塔婆と認識できた瞬間、小町は降りしきる卒塔婆の群れに、成すすべなく蹂躙された。
 みぎゃあああああああ、という情けない悲鳴をあげながら。


 一方の映姫は、その光景を黙って見ていた。それも無表情で。
 あまりに表情の現れていない顔は、ちょっと――否、すごく怖い。
 そんな彼女の手には一枚の符が握られており、そこにはこう書かれてあった。

【審判「ラストジャッジメント」】



 ◆◆◆



「……では、今日はこのくらいにしておきましょう。いい加減、言いたい事も言い終わりましたし」
 言葉とは裏腹に、映姫の表情は、まだ言い足りないという事を如実に語っていた。それでも説教をやめたのは、辺りが薄闇に覆われてかなり経ったからである。さすがにこれ以上続けていては、明日の仕事に差し支えると考えたのだろう。実に映姫らしい理由である。
 一方、延々と説教を聞かされ続けていた小町はというと……
「済みません、済みません……」
 燃え尽きたぜ、真っ白にな。
 そんな一文が思い起こされるような状態だった。髪はあちこち乱れ、服はあちこち破れ、おまけにあちこち薄汚れて、さらに目元には涙の乾いた跡が残っている。事情を知らない者が見れば、かなり同情するような格好であった。
 あの後、映姫によるスペルカードの洗礼を受け、それから延々と説教に付き合わされたのである。いわく、貴方は上司の悪口を言い過ぎるだの、貴方は上司を敬わなさ過ぎるだの、貴方は上司を何だと思っているのかだの――映姫の口から吐かれる説教の雪崩は、止まる所を知らなかった。正直、前半のスペルカードより、こっちの方がきつかった。
 おまけに説教中は正座を強制もされたので、足もじんじん痛んで仕方が無かった。今となっては、すでに感覚が無いので問題ないが――いや、問題ありだな。
 確かに自分にも非はあっただろうが、それでもこの仕打ちはないだろう……小町は、本気で映姫の部下を辞めようかなとも考え始めていた。
「では、あたいはこれで……」
「……ちょっと待ちなさい、小町」
 まだ何かあるのだろうか。
 体力的にも精神的にもボロボロだった小町は、答える事も面倒になり、黙って上司の方へと向きなおる。
「今日連れてきた死者達だけど、また【悪人】ばかりだったわね。何故かしら?」
「何故って……」
 言葉が、途中で詰まってしまった。別に意識した訳ではない。目の前の上司の雰囲気に、呑まれてしまったからである。
 映姫は先程とは打って変わり、何処か哀しそうな顔をしていた。何時だったか思い出せないくらい前に見せた、哀しい顔を。
 そういった顔を上司が浮かばせるのを、小町は久しぶりに見た。本当に久しぶりに見た。
「何故って【悪人】の話が面白いから、ですよ」
 じっと、こちらを見つめる視線に耐え切れなくなり、小町は目を逸らしてしまった。普段の映姫なら即座に注意するはずなのに、その時は何故かしなかった。ただ、ずっとこちらを見つめているだけである。
「嘘ね」
 静かに、しかし確かに口にした言葉に、小町はビクッと震えた。
 その反応を見ても映姫の顔は、少しも変わらない。相変わらず、哀しそうな顔をしているだけだ。
 それは、小町が仕事をしないからだとか嘘を吐いていたからだとか、そういう事に対してではなかった――少なくとも、そんな些細な事に対して哀しんでいるのではないと分かった。
「四季様――」
 たまらず声をあげようとする小町。しかしそれを見ても、映姫の態度は微塵も変わることがない。ただ哀しそうな顔を、しているだけである。
 だから小町は、ついにその先を言えなかった。言う事なんて、出来なかった。
「いいのよ、小町」
 哀しそうな目で、しかし優しい微笑みを口元に浮かべながら、映姫は静かに言った。
「私は【閻魔】よ? 私に裁けない死者など、誰一人として居ない」
 小町にというよりは、むしろ自分に言い聞かせる様な口調。その姿が一瞬だけ――目の前の【閻魔】という幻想郷最高の裁判長がほんの一瞬だけ――ごく普通のか弱い【少女】に見えた――気がした。
 だがそれも一瞬。刹那も過ぎれば、彼女は再び幻想郷最高の裁判長【閻魔】へと戻っていた。
「だから小町。明日は【善人】を連れてきなさい? その方が、貴方も仕事が楽に終わるだろうから……分かった?」
「……分かりました」
 有無を言わさない口調に、小町はそう返事する事しか出来なかった。



 ◆◆◆



 自室――仕事部屋とはまた別の、プライベートな空間へと帰ってきてすぐにベッドへ倒れこんだのは、別に疲れているからではなかった。いや、実際かなり疲れていたのは確かなのだが、それ以上に色々と思うことがあったのだ。
「まだまだ駄目ね、私は」
 うつ伏せになりながら、映姫は自嘲の呟きを漏らす。何が駄目なのか具体的には自分でもよく分からなかったが、とにかく色々と駄目なのだろうなと思った。何ともいい加減なものである。【白黒はっきりつける程度の能力】などまったく活かせてないではないかと、さらに自嘲の念がこみ上げてくる。
「……私は優しすぎる、か」
 同僚である【閻魔】の一人から冗談混じりで言われた説教の一文が、不意に脳裏によぎる。
 いわく『【閻魔】としての貴方は真面目すぎ【四季映姫】としての貴方は優しすぎる』と。
 その時は笑って聞き流したが、後になって色々と考えさせられたものだ。
 私の【四季映姫】としての優しさは【閻魔】として判決を下すのに、邪魔になるのではないか。その優しさに阻まれて、公平な裁判を行うことが出来なくなるのではないか。だとすると【閻魔】という種族に生まれたのは、そもそも間違いだったのではないだろうか。
 考え込んでしまう悪い癖が出てしまい、しばらく仕事が手につかなかった事もあった。裁判中でもふっと我を忘れてしまい、失態を演じたことも少なくなかった。
 そんな上司の空気を感じ取ったのであろう。小町が【悪人】ばかりを連れてくるようになったのは、それからである。はすっぱな口調と手に持つ巨大な大鎌から誤解されやすいが、小町は割りと繊細な性格を持っている、のだと思う。【悪人】の話が面白いだのサボりたいからだの色々言い訳を言ってはいるが、実際には【善人】を連れてくるのが嫌なだけなのだろう。



【閻魔】という存在は【善人】であろうと【悪人】であろうと、公明正大に説教を説かなければならない。

 それこそ、古傷を抉り返すような真似をしてまでも。

 死者達がどんな者であっても、説教を説くことを止めてはならない。

 それこそ、老若男女問わず、死んだ事実さえ飲み込んでいないような、幼子でも。



【善人】を連れてきて、あまつさえ古傷を抉り返すように説教させれば【四季映姫】という優しい個人を傷つける。恐らく、小町はそう考えたのだろう。何とも上司思いの部下である。
「お嫁の心配までするなんて、本当に上司思いな部下ね」
 うつ伏せから仰向けになりながら、映姫は皮肉交じりのため息をつく。幾ら痛いところを指摘されたとはいえ、スペルカードに説教は少しやり過ぎたかもしれない。明日は小町に謝るようにしようかとも思った。
 ――待て待て、痛いところとは何だ? 私は別にお嫁に行きたいとも行き遅れているなどとも、少しも思った事はない。小町はそんな私に対して、実に失礼な事を言ってのけたのだ。ならば彼女が受けた仕打ちは当然のものなのだろう。そうだ、そうに違いない。だいたい、私は結婚などというものにこれっぽっちも……
「って、私は何を考えているんだろう」
 軽く暴走した思考に眩暈を覚えて、目頭を指で揉んでみる。効果など全然期待していないが、気の持ちようである。幾分か楽になった気もしたが、やはり疲れが溜まっているのが一番大きいのだろう。今日は早めに入浴を済ませて、寝ることにした。
「……明日こそ、小町が【善人】を連れてくるといいんだけど」
 傍らに置いてある重々しい冠と、暗い青を基調とした服。【閻魔】としての正装を静かに見つめながら、映姫は気を確かに持った。
「私は【閻魔】私に裁けない死者など、誰一人として居ない……絶対に」
 自分に言い聞かせているその声は、悲しいくらいに少女のもの、そのものだった。



 ◆◆◆



 翌日、朝早くから身支度を済ませた映姫は、戦場に赴く兵士の様な顔で、小町が【善人】を連れてくるのを今か今かと待っていた。
 元来の性格も災いし、昨夜はあまり寝れなかった。しかしそれは逆に、感情を昂ぶらせる要因にもなってくれている。今の映姫は、まさに準備万全の状態だった。
 しかし――
「……小町は、まだなのかしら」
 若干怒りに震える声が、答えるものの居ない部屋に虚しく響いた。
 そう、肝心の【善人】が来ていなかった。映姫自身が早めに来てしまったので多少時間が掛かる事は予想していたが……よもや、これ程とは。すでに、お昼に近い時間帯になってしまっている。
 空腹感に苦しむ自分のお腹を撫でながら、映姫はここには居ない、サボタージュ癖のある部下を思う。
「昨日あれだけ怒ったから、少しは優しく接してあげようと思った矢先に……こんの、ウシチチサボり魔が――!」

 ぐぎゅるるるる〜。

「あ……」
 とうとう我慢できなくなったお腹の大きな悲鳴に、映姫の顔がみるみる茹でダコの様に赤くなる。と同時に、この場に誰も居なくて本当に良かったと、心底思った。
 いくら【閻魔】とはいえ、減るものは減る。ましてや映姫は――あまり知られたくないので、ほとんど誰にも話していないのだが――見かけによらず、よく食べる方なのだ。勿論【食いしん坊な亡霊姫】や【宵闇そーなのかー】に比べれば、別段それ程でもないのだが。
 その秘密を知っている同僚の【閻魔】からは『よく食べるのに、全然大きくなりまちぇんね〜』などと言われ、からかわれる事もしょっちゅうある。
 それくらいには、よく食べるのだ。
「け、今朝は沢山、食べたはずなのに……」
 恥ずかしげに顔を赤らめ、頬をポリポリとかく映姫。バツの悪そうな視線の先には、空腹を訴える自分のお腹がある。もしこれから裁判を始めるとなってしまったら、とてもじゃないが耐えれそうにないくらい、お腹が減っていた。
「……やむを得ませんね」
 数秒、悩んだ挙句、映姫は周りの様子をしっかりと確かめ始める。部屋に人が居ない事は分かっていたのだが、それでも一応確かめておいた。
 やがて自分の心配が杞憂に終わったと分かるや、懐からいそいそと何かを取り出す。それを何故か置いてあるお椀のご飯にふりかけ、さらに何故か置いてある急須でお茶を注ぐ。
 部屋に、お茶の何とも言えない香りが漂い、映姫はどこか満足げな表情を浮かべた。そして、今度は勢いよく手をあわせて、満面の笑みで元気よく言い放とうとする。
「いただきま――」
「済みません四季様! お待たせしました〜」
 ……何とも、タイミングの悪いことである。
 バツの悪そうな顔で息を荒げながら部屋に飛び込んできた小町は、扉を開けた姿勢で「あ」とだけ言うと固まってしまった。
 一方の映姫も、お椀とお箸を持っていざ食べん、という姿勢で「あ」とだけ言うと固まってしまった。
 時が止まった裁判室。
 机の上には、映姫が懐から取り出してお椀にふりかけた物の袋があり、こう書かれていた。

【永○園のお茶漬け】



 ◆◆◆



 このまま止まっていても仕方が無いので、ひとまずお茶漬けを一気に平らげた後、遅刻をした小町に説教を開始した。尤も、裁判室で【早弁】をしようとしていたのを見られてしまったので、あまり強くは言えなかったが。
 普段よりどこか小さくなりながら説教をしている上司に、小町はどういった表情をしていいか分からない様子だったが、ひとまず神妙そうな顔で黙って聞いていた。
「……以上よ。それで小町、今から裁判をうける魂は何処?」
「あ、はい……ほら、こっち来な〜」
 不意に仕事の事に話を振られて少し戸惑った小町だが、すぐに誰かを呼んだ。それに答えるかのように扉がゆっくりと開き、誰かが入って――こなかったが、ちらちらと扉の影から何か白い物が見え隠れしていた。しばらくそれが続いていたが、やがておずおずと一つの魂が入ってくる。
 すると、入ってきた魂がぼうっと光りだし、するすると何本もの糸の様にほどけながら人の形へと集まりだす。しゅるしゅると光の糸が集まって、足、腕、体、顔を形作っていき、やがてそこには――幼い女の子が立っていた。
 突然自分に体が戻って驚いているのだろう。目を真ん丸に見開き、目の前にある自分の手をじっと見続けている。かと思えば、今度は足をペタペタ叩いて、その感触を確かめだした。
「この部屋に魂が入ると、生きていた頃の姿が取り戻せるんだよ。そっちの方が色々と都合が良いからね。まあ、仮の姿だから、ここから出るとまた元の魂に戻るけど……」
 尚も不思議そうな女の子に向かって、小町は苦笑しながら説明をする。女の子はまだよく分かってはいないようだったが、それでも一応納得したように頷いた。
 と、今度は映姫の方を見て、また不思議そうな顔になった。見つめられた本人は、無垢なその視線に少し胸の奥がこそばゆくなる。それと同時に、この視線が恨みがましい物に変わるのかもしれないとも思うと、少し居た堪れないものも感じた。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「ん、なんだい?」
 急に呼ばれたのに、小町は別段慌てた様子もなかった。女の子の身長にあわせるようにしゃがみながら、ニカッと笑いかける。小町が小さい女の子から【お姉ちゃん】と呼ばれるのは、何だか凄く似合う気がするなと、映姫は訳も無く思った。
「あのね……あの人、誰?」
「ああ、あの人が【閻魔様】だよ」
「え……?」
 呆けたように、再び映姫を見つめる女の子。まあこういった反応は今まで嫌と言うほど経験しているので、別に気にもならない。
「【閻魔様】って、大きくてヒゲの生えた、怖い顔のおじさんかと思ってた……」
「あはは、それなら大丈夫。四季様が怖いのは当たってるから――きゃん!?」
 失礼な事を言った小町をグーで殴り――身長差があったので、椅子の上に立ちながら――ひとまず、黙らせた。
 そしてなるべく女の子を刺激させないように、やんわりと声をかける。
「私が貴方の裁判を行う【閻魔】の四季映姫です。どうぞ、よろしくね」
「しき、えいき……?」
「……難しいなら、お姉さんでも構いませんよ」
「は、はい……よろしくお願いします、お姉さん」
 自分も【お姉さん】と言われたかったから言ってみた、という事はないだろう、たぶん。
 ただそれでも【お姉さん】と呼ばれた事を、何故だか結構嬉しいと感じてしまう映姫だった。
「――さて、じゃあ小町。後は私がやりますから、貴方は自分の持ち場に戻りなさい」
「いたた……はぁ〜い」
 まだ痛むのか、涙目で頭をさすりながら、小町は部屋を後にしようとする。が、急に扉の前でくるっと振り返ると、ニカっと笑いかけながら女の子に手を振った。それを見た女の子は、少しだけホッとしたような笑顔で手を振り返す。
 こういった動作が自然に出来るのが、小町の良いところだ。あまりそういった気遣いが出来ない映姫にとっては、少し羨ましいものでもある。
 パタンと扉が閉まった時、そこに残されたのは一人の女の子と一人の【閻魔様】。少しだけ気まずい空気が流れかけたので、それを誤魔化すかのように映姫は話しかけた。
「では、そこの椅子に腰掛けてなさい。少し準備をしますから」
「は、はい」
 なるべく優しく言ったつもりだったが、それでも女の子は若干緊張した様に身構える。
 部下の馴染まれやすい性格が、少しだけ羨ましく思った。



 ◆◆◆



「では、こちらに来てもらえますか?」
「は、はい!」
 一目で緊張していると分かるくらい不自然な動きで女の子は、椅子に座る映姫の元へと歩む。
「手を、どちらの手でも良いので、こちらに出してください」
 言われるがままに、女の子は右の手を差し出す。それを映姫は優しくつかみ、机の上に置いてある、何も書いていない開かれた巻物へそっと触れさせた。
「あ……」
 呆けた様な声が女の子の口から漏れたのは、目の前で起こった出来事に心を奪われたからだ。
 手が触れた巻物。何も書かれていなかったはずのその紙に、するすると文字が刻まれていた。筆も鉛筆も、ましてやボールペンも無いのに、巻物に見事な筆字が刻まれていくその光景は、確かに我を忘れさせる光景である。
 女の子の驚きも意に介さず、見えない筆はすらすらと何かを書いていく。女の子には何が書かれているかなどさっぱり分からなかったが、じっと見つめる映姫には手に取るように読めていた。
 やがて、書き終わったとばかりに文字の行進が止まったのを見届けると、映姫はつかんでいた手を離す。
「では、そちらで座って待っていてください。なるべく早くに終わらせますので」
「あ……はい」
 目の前で起こった光景に尚も戸惑っていた女の子だが、映姫の言葉には素直に頷き、そのまま元居た椅子へと腰掛ける。
 一方の映姫は、先程文字が書き込まれた巻物を読み直していた。今まで何回か見てきた他の巻物より文章が短いので、それ程時間は掛からないだろう。
「あ、あの……」
 不意に聞こえた声に、映姫は巻物の文字列から目を離す。
「何ですか?」
「……それ、何が書かれているんですか?」
 おずおずと、しかしはっきりとした口調で女の子が聞いてきた。
 なるほど、好奇心旺盛な子供らしい質問だ。別に嘘を言う必要も無いので、映姫は言いよどむ事も無く答える。
「これは、あなたが今までどういった人生を送ってきたかが、客観的に書かれているんですよ」
「きゃっかんてき?」
「簡単に言えば、物語の本みたいな文章で、あなたの人生が書かれているのよ」
 それだけ言うと、映姫はまた巻物へと視線を戻した。
 一方の女の子はほへ〜っと言うと、感心したような表情で巻物を見つめている。恐らく、もう一度読んでみたいとでも思っているのだろう。自分の事がどんな風に書かれているのか……老若男女問わずに興味を持つ内容なのだから、無理もない。
 やがて、それを読み終えた映姫が顔を上げた。
「終わりました。ではこれから、貴方の裁判を始めたいと思います」
「は、はい……」
 先程までと違い、急に険しくなった映姫の表情に、女の子は思わず気圧さ声が小さくなる。怯えた様に身をすくめるその姿は、あまり見ていて気持ちの良いものではない。しかしそれを見ても映姫は、厳しい表情のままで言葉を続けた。
【閻魔】としての責務を、果たす為に。



 ◆◆◆



「貴方は、自分がどうやって死んだかを憶えていますか?」
 静かな問いかけに、女の子の体がビクッと震える。まるで、その答えを拒絶しているかのように。
「……分からない、です」
「嘘ね」
 瞬時に反論され、また女の子の体が震える。怯えた様に首を横に振り、泣きそうな顔で映姫を見ている。
 もうやめて――眼差しで必死に訴えているのが、傍目から見てもよく分かった。
 しかし映姫の表情はまったく動かない。そして、説教も止めない。
「貴方は分からないんじゃない。思い出したくなくて、そうやって分からない振りをしているだけ……そうよね?」
「そんな事……ない」
「嘘を重ねるな!」
 突然の怒声に堪えきれなくなったのか、女の子の両目からぶわっと涙が滲み出た。最早、完全に怯えた色へと染まった瞳で、映姫を見つめる。
 それでも【閻魔】は説教を止めない。止めてはならない。女の子が死と向き合い、己の人生を見つめ直すことに繋がるから。
「死とは生物にとって絶対の恐怖の対象。その瞬間を記憶が憶えていないはずがない、心がただ己の死を認めたくなくて足掻いているだけ……あなたが、逃げているだけなのです!」
 毅然と、そして容赦のない言動。
 例え相手が年端のいかない幼子でも、説教の手を緩めてはならないのだ、絶対に。
「今一度、死の恐怖を思い起こしなさい! そうしなければ、貴方には輪廻を超えられる権利が与えられないのだから!」
「あ……あぁ……!」
 必死で耳を塞ぐ女の子だが、そんなもので聞こえなくなるほど【閻魔】の説教は生易しいものではない。瞳孔まで見開いたその目は、怯えを通り過ごし、恐怖へと染まっていた。
「死の恐怖に背いて言葉を重ねれば重ねるほど、それは言霊の鎖となって貴方を縛りつけ、奈落へ引きずり込む足枷となる。だから、ここで嘘を重ねるのは、貴方自身を苦しめる鎖となってしまう!」
 それでも、それでも映姫は容赦なく言葉を浴びせる。
 このまま女の子に、恨まれる事になろうとも。
 これが【閻魔】として出来る、精一杯の慈悲なのだから。



「死を直視しない幼き死者よ! 今こそ、貴方は貴方自身と向き合わなければならない……貴方の死と、向き合わなければならない!」

「いやあああああああああああああああああああああああああああ!」



 絶叫が響くと同時に、女の子は自分の胸の奥がコトリと動いたのを感じた。
 頭に入ってくるソレは……その光景は……



「……そっか、私」
「思い出しましたか?」
「はい【閻魔様】」
 目の前の女の子は、妙に落ち着いていていた。
 死を認めた者は、大抵がこういった顔になるものだ。落ち着き、達観し、表情が真っ白になる。
 泣きじゃくったり怒り狂ったりする者もいるが、そういったのはごく少数なのだ。
 女の子には、こういった顔はしてもらいたくなかった――そう思っている自分自身に、映姫は少し眩暈を覚えた。
「私、お父さんとお母さんが仕事で……その日は絶対にお休みだからって言ったのに仕事が入ったって……皆で遊びに行くって約束してたのに……いつもいつも我慢してて、やっと皆で遊びにいけるって思ってたのに駄目になって……私、すごくすごく怒って……でも本当は、すごくすごく泣きたくなるくらい悲しくて……」
 ポツリポツリと口だけを動かして、聞かれてもいないのに話し出す女の子。どこか人形の様に虚ろな目は、床の一点を見てじっと動かない。
 物を思わせるくらい他の部分は動いていないのに、口だけはすらすらと動いている女の子は、どこか滑稽で、そして不気味だった。
「私、酷いこと沢山言って……そしたらお母さんが私を叩いて……何がなんだか分からなくなって、気が付いたら靴を履いてドアを開けて……そして、そして……道路に飛び出した時に、向こうから車が来て……」
「分かりました、もう良いですよ」
 ここまで自分の死を直視できたなら、もう良いだろう。輪廻を廻って転生しても、己の現世に囚われることは無いはずだ。
 これで良かったのだ。
 自分に言い聞かせながら、映姫は極力感情を抑えながら続けた。
「そう、貴方は少し身勝手過ぎた。たった一回だけとはいえ身勝手になった事によって、貴方は亡き者へとなってしまったのです」
「……」
「ですが、貴方の罪は地獄へ行く者のそれと、比べ物にならないほど軽い。貴方はこれから、冥界へと行って転生を待つ身となりますので、ご安心なさい」
「……」
 励ましのつもりでも言ったのだが、まったく効果はないようだった。尤も、映姫自身期待などしていなかったが。
 まあ無理もないだろう。たった一回自分の気持ちをぶちまけただけで、こうやって死者へとなってしまったのだ。
 やり切れない思いが渦巻くのは、当然の事である。
 何もかも投げ出して、すべてを無かった事にしたいと考えても、それはそれで当然なのだろう。無論、そんな事は【閻魔】である自分がさせないが。
 それよりも大事なのは、この衝撃から女の子がどう立ち上がるのかだ。
 直接立たせるというのは、映姫には出来ない事だった。こういった事を乗り越えるのは、本人以外には誰にも出来ないのである。例え【閻魔】でも、本人以外には出来ないのである。
 だけど。



「……貴方の」

「え……?」

 だけど、だ。

「貴方の両親は近いうちに」

 手助けをする事は出来る。

「子供を作ってしっかり育てて」

 背中をちょっと押してやる事は出来る。

「貴方の分まで」

 次の人生への近道を、ちょっとアドバイスしてやる事は出来る。

「幸せに、なりますよ」

 輪廻への想いに集中出来る様に、事実を述べる事だって、もちろん出来る。



「本当……ですか?」
 恐る恐る、女の子は訪ねる。まるでその言葉が、幻であるかのように慎重に。
「【閻魔】は、嘘はつきません」
 映姫は、ゆっくりと答える。まるでその言葉が、真であるかのように厳粛に。
「だから……貴方は泣く必要なんて、ないんですよ?」
「え……え? え?」
 泣く? 何を言っているのだろう? 誰も涙など――

 ぴちゃん。

「――あ」
 気付いた時には、一粒の涙が零れていた。他ならない、女の子の瞳から。

 ぴちゃん。

 女の子自身が不思議に思った時に、もう一粒。やはり、女の子の瞳からだった。
「え……ええ?」

 ぴちゃんぴちゃんぴちゃぴちゃぴちゃ。

 やがてどんどん涙の数は増えていき、ついには溢れんばかりの量となっていった。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。

 零れ落ちていく涙に一番驚いているのは、女の子本人だ。零れ落ちる大粒の涙を止めようと手で拭うのだが、後から後から出てくるので、どうしても止めることが出来なかった。
「あ……あれ……私、どうして……?」
 それでも不思議そうに、自分の涙を拭う女の子。どうしていいのか分からないという表情で大粒の涙を流すその姿は、見ていてとても痛々しかった。
「あ……」
 不意に視界が暗くなり、何やら暖かいものに包まれてしまう。
 女の子は少し理解するのに手間取ったが、すぐに理解し、そして今度は戸惑った。
「お、お姉さん……?」
 女の子は抱きしめられていた。
 他ならない幻想郷最高の裁判長【閻魔】――四季映姫・ヤマザナドゥその人に。
 しっかりと抱きしめ、しかしそれでも苦しくないように優しく加減をするその顔から【閻魔】を想像するのは難しい。何故なら、それは母を思わせるほどに優しく、そして暖かさに満ち溢れていたのだから。
「……訂正しましょう」
 何を、と聞く必要もなかった。だって、女の子には分かったから。何故だか分からないけど、分かったのだから。
「気が済むまで泣きなさい。私は、ここに居ますから……大丈夫だから……」
「おねえ、さん……」
 優しい、本当に優しい言葉だった。
 暖かい、本当に暖かい言葉だった。
 だからもう駄目だった。
 とてもじゃないけど、抑える事なんて出来なかった。

「う、うわああああああああああああ……! おどう、ざん! おがあ、ざん! うわあぁぁぁぁぁん……」

 慟哭に近い、大きな泣き声だった。
 女の子は、それがしばらく自分の泣き声だと分からなかった。
 だってそんな事が気にならないくらい、映姫の温もりが心地良かったのだから。



 ◆◆◆



「……やっぱり、まだまだ駄目ね。私は」
 自分以外のいなくなったこの部屋で、映姫は一人呟く。もちろん、返事してくれる者などいない。
 最後の最後で情が出てしまい、思わず抱きしめてしまった。魂がまだ冥界へと行っていないのに、安息を与えてしまった。
 確かにそれによって、あの子に輪廻へと行く決心がついたが、それでも【閻魔】としてはこの行動はどうなのか、と考える。
 公明正大を基本とする裁判において、情というのは有ってはならないモノなのだ。
 なのに自分は――
「四季様は、考え過ぎなんですよ」
 不意に聞こえたのは、どこか呆れたような響きを含む部下の声だった。
「小町?」
「四季様は難しく考え過ぎなんですよ、見ているこっちがメンドクサって思うくらいに」
 腕を組みながら説明する小町の表情は、何故か怒っているようにも見えた。自分の裁判の失態を反省しているのに、何故そんな私に対して怒っているのだろう?
「確かに【閻魔】っていうのは、それこそどんな状況でも客観的に物事を判断して、冷静に対応しなきゃいけません。それは事実だと思いますよ」
「そうです、それこそが正しい【閻魔】なんですよ。分かっているなら別に――」
「でも、それなら【式】に任せておけば良いじゃないですか? 何で、裁判にとって一番邪魔な、感情を持っている【閻魔】に任せなきゃいけないのか、分かりますか?」
 小町は、有無を言わせずに続けた。
 その口調に、普段のサボタージュ癖のある怠け死神の面影は無い。状況を冷静に判断して的確に物事をこなす【死神】そのものだ。
 しかし映姫はそこで止まらない。この程度で弁論を止めてしまっていては、普段から説教など出来るはずがないのだから。
「数式の集まりである【式】では、対応できない状況が多々存在するからですよ。裁判のパターン化は、最も避けねばならない事柄の一つですから」
「なんだ、分かっているじゃないですか」
「……何を、です?」
「感情がなくパターンしかない【式】には裁判が出来ない。それは逆に言えば、裁判をするには感情とあやふやさが必要って事ですよ。そして感情とあやふやさがあれば、感情によって動く事があって当然の事……そうなんじゃないですか?」
「話が飛躍し過ぎていますよ、小町」
「あ、やっぱりそう思います?」
 急に表情を崩してあははと笑う小町だが、また急に真面目な顔に戻る。小町がそんな真面目顔を何回も見せるのは、本当に久しぶりの事だ。それだけでも映姫にとっては、かなり驚きだった。
「でも、あたいにはそう思えて仕方がないんですよ」
 静かに語る小町の姿は、知っている人が見たら別人かと思うくらい、漂わせている空気が違っていた。
「四季様は自分の【優しさ】が【閻魔】として邪魔だと思っていて、裁判中は何とかそれを押し潰そうとしていますよね? あたいはそれこそ間違っていると思うんですよね。だってそうやって振舞っていると、四季様も魂も辛いじゃないですか。皆が皆、辛くて良い事ってありますかね? あたいは、そんな事は無いと思うんですよ」
「しかし、そうしないと【閻魔】としての示しが――」
「別に良いじゃないですか」
 映姫の苦しい言い訳を、小町は簡単に一蹴してしまった。しょうがないな、という笑顔で一蹴してしまった。
「だって、四季様は四季様じゃないですか。【優しい閻魔様】がいたって、良いじゃないですか」
 ニカっと笑いながら、小町は簡単に言ってのけた。その態度に、何故だか知らないけどかなり腹が立ってしまう。
「小町――!」
「それにさっきの【優しい閻魔様】のおかげで、あの子は笑顔で冥界に行けたじゃないですか?」
 とにかく怒鳴ってやろうとしていた映姫だったが、その一言で言葉に詰まってしまった。



『ありがとう、おねえさん』

 満面の笑みと柔らかい口調で、冥界の扉をくぐった女の子。

 その笑顔と声が、おんおんと胸に響いた。




「あたいは、そうやって自分に素直で真面目な、それでも優しい四季様の方が好きですよ?」
 真面目な口調とは裏腹に、小町は吹き抜ける青空を思わせる様な、明るい笑みを浮かべていた。映姫には眩し過ぎるくらい、自由な笑みを。
 一瞬だけ、その笑顔に見惚れてしまった映姫だったが、すぐに我に帰ると誤魔化すように咳払いをする。
「オホン……まったく、貴方に言われる筋合いはありません」
「はいはい」
 仏頂面でそっけない態度をとるが、小町は別に怒りもせずに笑っている。
 彼女には分かるからだ。上司が本当は、ただ照れ隠しでそんな態度をとっている事が。
「――小町」
「なんですか?」
 不意に呼び止められても、小町は疑問にも思わなかった。
 理由など無い。何となくである。



「……あ、ありがとう」



「いえいえ、あたいは思った事を口にしただけですから」



 小町はヘラヘラと笑いながら答え、そして思った。

 これからは【善人】を連れてきても大丈夫だろう、と。

 え、何故かって?

 だって、目の前に居る上司の後姿を見たからさ。

 ん? いつもと変わらないって?

 ははは、分かってないな。

 よく見てみなよ。ほら――

 前より、かなり強そうだろ?

 今の四季様の、後姿。
































「ところで小町、渡し舟の仕事はどうしたの?」
「……い、いや〜。実は船が流されてしまいまして、あはは」
「なるほど……嘘ね」
「え!? や、やだな〜四季様。今のあたいが、嘘をつきそうな顔に見えますか?」
「見える」
「そ、そうですか〜あはは……あ、あれ、四季様? その手に持っている符は何の冗談で……いや〜! 済みません済みません〜!」


































 貴方が死んで、もし魂が幻想郷へ流れ着いたとすれば。


 貴方が死んで、もし魂が赤毛の死神によって三途の川を渡ったとすれば。


 貴方は出会うだろう、真面目で鬼のように手厳しい【閻魔様】に。


 貴方は出会うだろう、優しくて切ないほどに脆い【四季映姫】に。





「ようこそ。私が貴方の裁判を公明正大に執り行う、幻想郷最高の裁判長【四季映姫・ヤマザナドゥ】です」





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