テレビとポテチと宇宙人と



「ふーん、また宇宙人ね……」

 極々平凡なアパートの一室で、その極々平凡な外見をした男は、スナック菓子を頬張りながら何気なし二呟いた。
 彼が見つめているのは、何やら扇情的な煽り文句と共に奇妙に目が巨大で灰色な人の形が映っている、小さなテレビの小さな画面。

「……しかし宇宙人ってのは、どいつもこいつも同じ様な外見しているなぁ……つーか、これ可愛く無さ過ぎだって」

 テレビに映っている灰色の人の形は、男にとっては特に珍しい物でも何でも無かった。
 今までに何回もこの手の番組を見てきており、おまけにそれら全てが同じ様な内容だったのだから、こういった反応をしてしまうのも、当然と言えば当然の事なのだろう。

「まあ、これはこれで面白いけどな……っと、風呂入れてたんだった」

 うっかり忘れそうだった事実を思い出し、男はいそいそと風呂場へ向かった。
 やがて、数秒の後にテレビの前へと戻ってきた男は、少しだけ名残惜しそうな顔をしながらリモコンを手に取る。

「うーん、もう少し見たいけど……早く入らないと冷たくなるし、仕方ないか」

 それだけを言って、彼はリモコンを操作してテレビの電源を切ると、入浴後の服と下着とタオルの準備をしてから、風呂場へと姿を消した。

 男一人だけが住んでいる、極々平凡なアパートの一室である。
 唯一の住人である彼が風呂場へと行ってしまった今、その部屋の中で他に動く人影は、勿論居ない。
 風呂場から聞こえるシャワー音以外には、特に聞こえる音が何も無く、重苦しいまでに存在感のある静寂が、そこに居座っていた。





 ぴょこん、という擬音語が似合いそうな仕草で、カーテンの隙間から一人の少女が部屋の中を覗き込んで来たのは、そんな時だった。

 仄かに紫色の混じった銀髪の上に、ぴょこん、と二本の兎の様な白い耳が突き出したその少女は、頭だけを覗き込ませた状態で少しの間注意深げに、男が入浴している風呂場の入口をじっと見つめる。
 やがて、一向に出てくる様子の無い男に安心したのか、小さく安堵の溜め息を漏らすと、いそいそと部屋の中へと足を踏み入れた。

「――師匠、どうやら大丈夫っぽいですよ」

 なるべく音をたてずに忍び足で歩き進みながら、少女は自分が入ってきたカーテンの向こう側へと、静かに声を掛ける。
 すると、その声に反応したのかカーテンの向こう側から、今度は一人の銀髪の女性が姿を現した。
 特に言葉も無く、足音を忍ばせずに女性はすたすたと部屋の中を歩いて行くと、そのままリモコンを手にとって、いきなりテレビの電源を付け始める。

「し、師匠!? そんな事したら、気付かれちゃいますって――!?」
「あら、貴方はさっき、大丈夫って言わなかったかしら……そうでしょ、ウドンゲ?」

 澄ました顔の女性――八意永琳はテレビを見ながら、さらりと言ってのけた。
 その態度に、ウドンゲと呼ばれた少女――鈴仙・優曇華院・イナバこと通称ウドンゲは、深い溜め息を惜しげもなく吐き出す。

「そりゃ言いましたけど……だからって、幾らなんでも忍び込んでいる家で、何も考えずにいきなりモニターの電源をつけなくったって……」
「失礼ね、ちゃんと考えているわよ。モニターから入浴室までの距離だとか、モニターの音量が幾らまでなら入浴室に聞こえないかだとか、私と貴方の話し声がどれくらいまでは大きくしても大丈夫かだとか」
「……本当ですかぁ?」
「当然よ」

 悪戯っぽく、それでいて色っぽい笑みを浮かべながら、永琳は何でもない風に言ってしまう。
 その言葉の何処までが嘘で、何処までが真実なのか。正直、弟子であるウドンゲにも、全てを窺い知る事は出来なかった。

「それより、貴方もいつまでも突っ立ってないで、早くこっちに座りなさいな」
「あ、はい」
「――てりゃ」
「もがっ」

 唐突にウドンゲの口に、何かを放り込む永琳。

「ひゃ、ひゃにふるんへふはぁ、ひひょう?」
「これよ、これ。たぶん、美味しいわよ」

 もがもがしているウドンゲに永琳が見せたのは、男が先程まで食べていたスナック菓子。
 美味しい事には間違いない筈なのだが、それを見た事が無いウドンゲにとっては、薄っぺらくて黄色い奇妙な物体と見る事しか出来なかった。

「……いひゃひゃひはふ」

 毒味させられた事に少しだけ恨みがましい視線を向けるウドンゲだったが、渋々と永琳の言葉に従って口に入った菓子を咀嚼し始める。
 もぐもぐ、もぐもぐ、と。
 我慢する様に眉間に皺を寄せていたウドンゲだったが、噛む内にどんどんその皺が引き伸ばされていき、表情も自然と和らいで来る。
 やがて、口の中に含んでいたそれを飲み込むと、唇の端にスナック菓子の欠片を付けたまま、驚いた様に口を開く。

「美味しい……」
「ほら、やっぱり私の言ったとおりだったわね」

 言うや否や、先程まで全く口にしていなかったスナック菓子を一口齧り、満足そうに微笑む永琳。

「うん、美味しい」
「……」

 釈然としない物が浮かびながら、黙って永琳を見つめるウドンゲ。
 だが、そんな弟子の視線など歯牙にもかけないまま、永琳はテレビに映った映像に視線を移す。

「あら、宇宙人の特集ですって……ふーん、宇宙人ってあんな姿をしているのね」
「何言っているんですか、師匠自身が宇宙人じゃないですか」
「そうだったかしら?」
「絶対に嘘も無く、確実にそうです」

 呆れた様に表情を崩しながら、テレビに映る灰色の人の形を見つめるウドンゲ。

「……あの灰色のアレ、昔は私達が作らされていたんですよね〜……人間の目を欺く為だ、とか何とか言われて」
「へぇー、結構上手じゃないの。あの、ヌメッとした感触がしてそうな肌とか」
「でも実はアレ、かなり適当に作っている物なんですよ。兎に角、私達の外見とは全く違う物を作れ! が命令でしたからねー。それ以外は特に言われてなかったので、作る工程自体は、かなり適当な物でしたよ」

 扇情的に熱く語るテレビの声に耳を傾けながら、ウドンゲは再びスナック菓子に手を伸ばす。
 ちなみに、永琳が既に半分近く食べてしまっているので、スナック菓子の残りはかなり少なくなっていた。

「……うん、美味しいですね、これ」
「確かに美味しいわね。永遠亭に帰る前に、姫のお土産として幾つか持って帰ろうかしら?」
「泥棒するつもりですか、宇宙人なのに」
「あら。人間をアブダクションしちゃうよりかは、随分と平和的で利口な行動だと、私は思うんだけど」
「取られた側は、かなり迷惑でしょうね」
「別に良いじゃない。泥棒な宇宙人なんて、珍しい物では無い筈よ」
「宇宙人は珍しくなくても、泥棒な宇宙人は珍しいと思います」

 言い合いながら、器用に室内を物色する永琳。何故だか嬉しそうなその横顔は、ご機嫌にも鼻歌まで歌っている始末だった。
 最早、何も言えないウドンゲの前にやがて、何処からか探し出した二袋のスナック菓子を、永琳は得意気に置いて見せた。
 そして、これも何処からか探し出してきたビニール袋に丁寧に詰めると、改めてしっかりと手に持つ。

「シャワーの音からして、そろそろ出て来る筈。だからもう帰るわよ、ウドンゲ」

 唐突に、それでいて全く慌てずに永琳はそれだけを言うと、呆気に取られるウドンゲをそのままにしたまま、カーテンの向こう側へと消えてしまう。

「――ま、待ってくださいよ、師匠!?」

 一瞬の忘却から立ち直るや、即座に永琳の後を追ってカーテンの向こう側に消える、ウドンゲ。
 再び誰も居なくなってしまったアパートに一室に、またもや重苦しいまでに存在感のある静寂が、居座り始めた。





「……あれ? 俺、テレビつけっぱなしだったっけな?」

 入浴を済ませた男は、開口一番にそんな疑問の言葉を口にした。
 先程までそこに居座っていた二人と違い、今の彼は一人。なので、その言葉に答えてくれる者は、誰一人として存在しない。

「それに、ぽてちまで無くなってやがるな……って、おいおい。ストックしていた分まで、無くなってるぞ」

 流石に気のせいでは済ませない事実に、男の口から焦りを含んだ言葉が漏れる。
 すぐさま財布の中身も確認してみるが、こちらは至って無事な状態だった。

「……泥棒じゃ、ないのか?」

 人間として生活するのに必要な、現金。
 それが無くならずに、スナック菓子だけが無くなっている今の状態に、男は疑問を感じずにはいられなかった。

 そんな男の視線に不意に映ったのは、外から部屋を覆い隠すカーテン。
 何気なく開けてみると、その先に広がっていたのは、何処か虚ろで物悲しい夜の街角。
 ぽつりぽつりと点在する街頭に照らし出される場所には、特に何かしらの怪しい影は見受けられなかった。

「……変な事も、あるもんだな……」

 未だに納得しきれなかった男だったが、被害を受けたのはスナック菓子が二袋と、食べ残しの一袋のみである。
 首を捻りながらも気にしない事にしながら、男はそのままカーテンを閉めた。そして、今も扇情的な煽り文句を語り続けるテレビへと、再び視線を移す。
 そこに映っていたのは、何処までもウソ臭い風貌をした、灰色の人の形だけだった。





「ナイスタイミング、ってところね」

 ビニール袋を持ちながら、永琳は満足気に呟く。
 隣に居たウドンゲは、閉まったカーテンの向こう側に消えた男に、心の中だけでそっと謝っておいた。

 ご馳走様、それとすみません、と。

「……今日は満月ね、ウドンゲ」
「あ、本当ですね、満月です」

 夜空を仰ぐ、二つの影。
 視線の先には永琳が言ったとおり、丸い満月がこっちを見下ろしていた。

「どうやら外の世界の満月は、幻想郷の満月よりも、狂気分が濃いみたいね」
「……師匠も、そう思います?」
「勿論よ。これも博麗大結界の影響――なのかもしれないわ。幻想郷を取り囲んでいるあの結界が、月の狂気からも幻想郷を守っているのかも……」

 後ろ手に髪をかき上げながら、何でもない風に言ってのける永琳。
 さらりと流れた銀髪が月に照らされ、煌々と美しく輝いていた。

「……だとすると、外の人間達は既に、狂気に染まってしまっているって事も、考えられますね」
「ま、私達にとっては、どうでも良い事だわ」

 ウドンゲの呟きを遮りながら、永琳は肩をすくめて見せる。
 その表情は俯いて影となっていた為、どんな感情を浮かべていたのかは、ウドンゲには窺い知る事が出来なかった。

「それより、そろそろあのスキマ妖怪との約束の時間よ。早く行かないと置いてけぼりを食らってしまう……急いで戻るわよ、ウドンゲ」
「あ、はい。分かりましたー……って、早いですよ、師匠」

 言い切らない内に遥か彼方へと飛び去ってしまった永琳に対して、置いてけぼりを食らったウドンゲは静かに呟く。
 その後姿を追い掛ける前に、彼女は少しだけ後ろへと振り返った。
 視線の先には、先程までスナック菓子を食べてテレビを見ていた、極々平凡なアパートの一室。

「……」

 束の間だけ、何も言わずにカーテンの閉まった一室を見つめる、ウドンゲ。
 しかし唐突に、前へと視線を戻す。
 そして脇目も降らずに飛ぶ速度を加速させて、永琳の後を追って飛び去ってしまった。





 一人の宇宙人と、一人の弟子が飛び去った、何処か虚ろで物悲しい夜の街角。

 亡骸のごとく地上に横たわるそれを、天上に浮かぶ満月は、静かに狂気の光で染め上げていた。




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