一日遅れ



「お師匠様……つかぬ事をお伺い致しますが、今まで一体何処に?」
「そんな他人行儀な言葉遣いは止めておけ、妖夢。お前が問いただすまでも無く、俺の方から勝手に話し始める」
 たったの、それだけ。
 孫と祖父。
 弟子と師匠。
 仮に、他人が二人の関係を知ったとすれば、恐らくはこの間の言葉のやり取りに「それだけかぁ!?」と怒り、何より途轍もなく驚きのたうちまわったであろう。
 それほどまでに、二人の言葉の交し合い――所謂、コミュニケーションというやつは、極めて簡素なものであった。
「――と、ところでお師匠様」
 だからこそ、懸命とも思える仕草で、次の言葉をようやっと紡ぎ出した少女――魂魄妖夢の声色は、とてもとても、か細く弱々しいものだった。普段の彼女の、強気とは言わずとも少々は少女特有の見掛け倒しな覇気に満ち溢れた快活な声、とは、かなり掛け離れたものだったのだ。
 まあ、無理もあるまい、
 自分が今まで意識せずとも、その実は心の奥底で求めて仕方が無かった存在――師匠と呼ぶのも畏れ多く、だからこそ、わざわざ『お師匠様』と過剰なほどに丁寧に呼ぶ相手が、今まさに横手に居るのだ。
 同じ縁側で座り込み、それどころか姿勢を崩した胡坐の体勢でくつろいでいるのだから……妖夢を「生真面目に過ぎる」だの「糞真面目だ」などと、罵り半分に揶揄するのは、色々と間違いなのだろう。
 尤も、仮に第三者が上記のように、彼の少女を罵ったとするならば――その者は恐らく、少女の横でくつろぎ続ける老人の手によって、刹那の内に、物言わぬ骸へと成り果ててしまったのだろうが……とは言え元々、此処は冥界の御庭。死者が一人か二人、増えたところで何でもないだろう。
 何故なら、世界とは人一人の意思どころか数百人単位の意思ではどうにもならないほどに、勝手気ままに動いているのだから。
「い、今までの旅路は――」
「お前はそればかりだな、妖夢。俺から話すと言っているのに、お前はそうやって頻りに問いただしてくる……まったく、がめつい」
「も、申し訳ございませぬ」
 妖夢は即座に、土下座をし始める。
 愚直なまでに己の非を認めてしまい、すぐに謝罪の意を示す。
 魂魄妖忌にとって、これこそが妖夢の最大の欠点であり――何より、最大の長所であると思っていた。
「……そうだな、やはり実りは、多々あったと思う」
 だからこそ、妖忌は孫を悪戯に戒める事も無く、己の体験を徒然と語る事にした。
 妖夢は戒める事より先に、何かを与えてしまえば良い……好い加減かも知れないが、己の剣士として頼り続けてきた第六感とも言うべき直感力に、妖忌は賭けたのだ。
「例えば、春となれば生き物は我先にと、芽生えた実りを口にし――己の力を、上へ上へと立ち昇らせる。大抵の生き物は比較的に気性は穏やかになるものの、一部の者は気性が荒くなってしまう」
 そこまで言って、妖忌はふっと笑みを浮かべる。
 男臭く、まだまだ若さと鋭さの溢れる、戦士の微笑みだ。
「――妖夢、それは何故か分かるか?」
「え? えっと……春の栄養をふんだんに蓄え、それでも気性が荒くなるんですよね?」
「その通りだ、それは何故か?」
「え、っと……」
 対して、妖夢の表情は複雑だ。
 師匠と呼ぶ相手からの、久々の直接の問答――ここは、是非とも答えておきたい。
「…………」
 しかし、どうしても分からない。
 まだ目の前の老練なる侍の半分の年月も生きていない少女にとって、それは当然なのかも知れない、それもで――!
 だが結局、妖夢には思い至る経験が、何一つ無かった。
「――りません」
「ん?」
 だから、妖夢は。
「……分か、りません」
 正直に、己の思うまま全ての気持ちを、己の師匠へとぶつけた。
 答えられなかった自分に対して、自責の念から、下唇をぎゅっと噛み締めながら。
「――栄養を蓄えた生き物の中には、己の子孫を残そうとする者が現れるんだ」
 しかし、それでも妖忌は攻めなかった。
 攻めず、ただ己が経験したきた事のみを、隣で悔しそうにじっとしている妖夢に対して、言い聞かせてのけた。
「自分の子孫を、ですか?」
「そうだ。だからこそ、春の内に蓄えた栄養を最大限に利用して、己の全てを受け継ぐ者達――卵を、生むのだ」
「あ……」
 ようやく合点がいった、そんな表情で妖夢は思わず呟いていた。
「己の子供の源である卵――全力で守るのは、生物の種類に問わず、親としての責務の全てだ」
 そんな孫のあどけない姿を見下ろして、妖忌は静かに言葉を続ける。
「――それに比べて俺は、お前にはあまり残してやれなかったのかも知れないが」
「そ、そんな事はありません!」
 妖夢の叫びは、白玉楼に、朗々と響いた。
「お師匠様は、私に剣を教えて下さった! 魂魄の誇りを教えて下さった! 西行寺家を世話する術を教えて下さった!」
 まだ年端もゆかないであろう少女の声は、しかしながらこの時ばかりは、とても自信に満ち溢れたものに聞こえていた。
 威風堂々と、厳粛に――されど、歳相応らしく、尊敬の念に満ち溢れて。
「私は、貴方に教えてもらって嬉しかった! 貴方が師匠で、本当に嬉しかった! だから、お師匠様――!」
 そこで妖夢は、妖忌の面を真正面から見つめた。
 愚直なほどに真っ直ぐに――魂魄妖夢に相応しい、生真面目過ぎるほどに真面目な瞳で、妖忌を見据えていた。
「それほどまでに、弱々しい言葉を……どうか、言わないで下さい……!」
「…………」
 妖忌は何も言わなかった。
 否、何も言えなかった、というのが正しいのだろう。
 ぼろぼろと涙を零し、それでも嗚咽をほとんど漏らさずに泣いていた愛弟子を見て――言い訳がましい言葉を、吐けるはずが無い。
 妖忌はそこまで――腐って、いなかった。
「……ならば、この旅路での成果を、お前と幽々子様に見せよう」
 だからこそ、妖忌は厳かに囁いた。
 もう随分と陽の光に晒され、草臥れてしまったであろう顎鬚を所在無さげに撫ぜながら。
 それでも眉間に皺を寄せ、静かな調子で口にした。
「狩るか狩られるか――己の実力のみが試される場所で培われてきた、俺の成果を見せる。一介の狩人として生き抜いた、俺の今までを見せるとしよう……妖夢」
 言って、微笑む。
 妖夢が師と称え、そして目指し続けた、魂魄妖忌の深い笑み。
「幽々子様を、呼んで来てくれ」
 威風堂々。
 妖忌は、言葉を続けた。
「――待たせたな、妖夢」


 ◆◆◆


「も〜、妖夢ったら急ぎ過ぎよ」
「幽々子様が遅過ぎるんです!」
 西行寺幽々子。
 自分にとっても師匠にとっても共通の主である彼女を、妖夢はやや無遠慮な扱いで誘い出していた。
 師匠の成果を見せる為に。
 自分が心から師と仰ぐ、妖忌の晴れ姿を見てもらう為に。
 妖夢は、少し強引な態度で、幽々子を連れ出していたのだ。
「――お師匠様!」
 やがて、妖忌が待ち続ける縁側が、見えて来る。
 心なしか、苦言を漏らし続ける幽々子の態度も、どこか嬉しそうなものが滲み出ている。
 だからこそ。
「幽々子様を、連れて参りましたよ!」
 妖夢は全身全霊で、本当に嬉しそうな笑顔で。
 妖忌に向かって、叫んでいた。



「――押忍っ! ウルトラ上手に、焼けましたぁ〜!」



 褌一丁、叫んでました。




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