「なあ、パチュリー」 「何よ、また来たの」 返ってきたのは、無関心と不快感とその他諸々が混ざり合った、トーンの低い声。 声の主は、手元の書物から全く視線を動かさなかったのだが、毎度の事なので気にも留めない。 「賢者の石って、どうやって造り出したんだ?」 うららかな陽気が全てを包み込む、まどろみの昼下がり。そんな小春の空気など少しも漂っていない地下図書館で、霧雨魔理沙は何とはなしに問い掛けてみた。 「忘れた」 「嘘こけ」 「本当、忘れたから教えない。勿論、憶えていても教えない」 「酷いぜ厳しいぜ」 ほんの僅かだけ、書物から紫の視線が外れる。 「……本」 「本?」 「そう、本よ」 パチュリー・ノーレッジの声色は、いつもこんな感じだ。鉛の様に重く、石の様に情緒が無い。 それでも紅い館の主曰く、『パチェも色々と、柔らかで惰弱になっちゃったものだわ』との事なのだが。 「調べるのは好きで得意でしょ? なら、此処の本を読破して、自力で調べれば良いじゃない」 「……へぇー、珍しい」 「何がよ」 「パチュリーが私に『此処の本を読んでも良い』なんて、言うのがな」 「騒がず壊さず傷めず奪わず」 書物の向こう側から、一息に言い切られる。若干の苛立ちが含まれているのを、魔理沙は敢えて聞き流した。 「この四つを守れば、此処は知識を育む苗床と為る……なのに何故、貴方は守ってくれないのかしらね」 「無為な規則は、足枷以外の何物でも無いぜ?」 「必要と不必要を吐き違える程に、魔理沙は早く往き過ぎなのよ」 「かも知れない。まあ実際、私達人間は早く往き過ぎるからな。仕方無いのさ」 そう言いながら、魔理沙は幾つかの書物を手際よく見繕ってゆく。見繕う内容は勿論、賢者の石に関する物だ。 「――騒がず壊さず傷めず奪わず、だったな。じゃあこれは、静かに優しく優しく借りてくぜ」 やがて、パチュリーの言葉を淀み無く反復してみせた時には、魔理沙はパンパンになった革の袋を担ぎ、器用で軽やかに箒へと跨っていた。 その顔には罪悪感の欠片も浮かんでいない。鋭くなった紫の視線を受けて尚、太陽の様に図々しく笑っている。 「私の言葉の意味、伝わらなかったのかしら」 「意思の伝達は解り易く、ストレートにしなきゃならん。パチュリーのは回りくどくて、不透明過ぎるんだよ」 「……考慮するわ」 「じゃ、そういう訳だから借りてくぜ。私が死ぬまでな!」 簡潔に言い切って、魔理沙は鼓舞する様に箒を靡かせる。 地上の館へと続く扉は一つだけ。無防備に開け放たれているのを再度、確認した直後に一直線の軌道で突き抜けて―― 「考慮したから簡単に言うわ、閉まれ=v 紫色の魔法使いの宣言と共に眼前で、地上への唯一の扉が勢いよく閉まる。回避を全く考えずに突き進んでいた魔理沙に、為す術がある訳も無いのは自明の理。 「お、おごぉぉおおおぉっ!?」 盛大に悲鳴を上げて、盛大に扉と衝突し、盛大に書物をぶち撒けながら。 「へぶれっ」 盛大に図書館の床と接吻を交わした。その味は、乾いた蟻の死骸を髣髴とさせる、哀しく虚ろな物だったそうな。 「ぐすっ……痛いぜ」 未だに痛む鼻の頭を、腫れ物を扱うかの様な慎重な手付きで撫でながら、魔理沙は一人呟く。目尻にはうっすらと涙が滲み、その姿は見る者によっては著しく保護欲をそそられる弱々しい物だったのだが、そもそもの原因が彼女自身に有るのだから全く以って始末に終えない。 「畜生っ、パチュリーめ。何時の間にかあんなトラップを仕掛けやがって……今に憶えてろよ」 悉く自業自得という熟語を顧みていない魔理沙の言葉を、咎める者は誰もいない。何故なら周囲に、人影や妖影が見当たらないからだ。 七曜の魔女を主とする地下図書館、又の名をヴワル図書館とする此処は、およそ地下という言葉にそぐわないくらい広大だ。床の面積、つまり部屋の広さは言わずもがな、天井の高さも他の追随を許さない。 見上げるまでに威風堂々と聳え立つ本棚が、整然と規則正しく並べられているその光景は、まさに圧巻の一言。それでもまだ広さに余裕はあり、棚と棚の間は人型が三人で横並びでも悠々と歩ける程にスペースが確保されている。 そんな、広過ぎてスペースの余った地下図書館には、主が使用する入口付近の家具調度品の他にも、簡素な椅子机が幾つか配備されている。休憩と調べ物の役目を兼ね備える、割りと合理的な代物だ。 魔理沙はその中の一つに腰掛けながら、渋々とした様子で、賢者の石について調べていた。 『騒がず壊さず傷めず奪わず、そして無理矢理に借りず。そうすれば、読み漁り調べるのは自由……これで理解して貰えたかしら、霧雨魔理沙?』 「――私は自分の部屋でないと、落ち着いて本が読めないんだよ」 珍しく口元に笑みを湛えた――妙に得意気で勝ち誇った、血色の良い微笑みだった――パチュリーの顔を脳裏に浮かべて、魔理沙は嘆息した。 外へと続く唯一の扉を塞がれた事によって、当初の目的だった借りる≠ニいう行為は見事に失敗。仕方ないので魔理沙は、大人しく地下図書館の中で調べ物をする事にしたのだ。 実を言うと、扉以外にも外への抜け道は幾つか存在している。その気になれば、他の抜け道を辿ってこっそりと持ち出す事だって可能だし、寧ろ正面突破よりこちらの方が成功確率は上である。 尤も、魔理沙は今日は服を汚したくない≠ニいう実に単純明快痛快爽快な理由から、それを行う選択肢は端から皆無だった訳なのだが。 「っと、そんな事より賢者の石だったな。えっと……」 ふと我に返り、手元の書物へと視線を落とす。 見繕った本は布の様に薄くて彩色豊かな物から、煉瓦の様に分厚く色合いが抹茶の様に地味な物まで、実に様々である。 魔理沙は頁を繊細に捲り続けながら、彼女の元来の性格から来る、興味対象に対する異常なまでの集中力をフル駆動して、重要と思われる事柄を探し始める。 「賢者の石と錬金術が密接な因果関係で結ばれている事は、既に周知の事実であり、ヘルメス・トリスメギストスは伝説的な錬金術師である……錬金術師にして医師であり自然哲学者であったパラケルスス、本名、テオフラトゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバトゥス・フォン・ホーエンハイム……ホムンクルスを作製、賢者の石を所持、しかしあくまで伝説の域を超えず……四精霊、火精、水精、風精、地精を提唱……人造精霊と名付けた怪物によってテロ行為を行ったテロリストは、自身をパラケルススとも名乗り、他にもサン・ジェルマン、カリオストロと……って、流石にこれは関係無いか」 そう言って、別の書物へと手を伸ばす。 「賢者の石によるホムンクルス、ウロボロスの刻印……肝心の賢者の石については記述無し、か。これは……武装する錬金術? 悪いが私は、色黒より色白の方が好みなんでね。こっちは……賢者の石を得てあらゆる知識を得た、ストーカーでロリコンなフィギュアフェチ……? おいおい、まさかパチュリーの事……って何だ、こいつ男か。こっちのは……パーティー全員に癒しの効果? なんだそりゃあ?」 色彩も厚さも様々な書物の群れを、魔理沙は貪る様に読み漁っていく。鮮やかな好奇心で煌めく黄金色の瞳は、間違い無く人間のそれだ。 「眼鏡の少年に鏡を覗かせろ? 稲妻模様の傷なんて、香霖には付いて無いぞ。こっちには……一家に一台、有れば便利な頼れる門番、ガーゴイルに必要不可欠な物質。作製方法は……っと、これだな!」 小気味良い音で指を弾き、ひゅうっと軽やかに口笛を一つ。 早鐘を打つ心臓さえも心地良く感じながら、魔理沙は羊皮紙を机に敷き、愛用のペンを手に取った。 「えっと、何々……材料は塩と硫黄と他には……で、構築魔法の術式と形状は……大いなる秘法(アルス・マグナ)か。この本には……載ってないなぁ」 いよいよ目的が達成される――そんな、全身で鼓動していた高揚感だったが、直後に訪れた落胆によって見る見る内に萎んでしまった。 しかし、そこは努力の人、霧雨魔理沙である。 持ち前のへこたれない自信を奮い立たせて立ち上がると、新たな書物を何冊か見繕い再び机に舞い戻る。今度は、大いなる秘法について調べる為だ。 「大いなる秘法……詠唱に時間が掛かり過ぎるが故に、実現不可能とされてきた魔術。しかし、とある錬金術師は数十人の同時詠唱による相乗効果で、詠唱時間を数十時間にまで短縮する事に成功。あらゆる魔術法則を無視して、思いのままに魔術を展開……人数が揃わない上に、肝心の詠唱が記載されていない、てんで駄目だな。他には……最強に分類される呪文、真言?」 視界を掠めた文字の羅列に、思わず興味を惹かれる。 常人より何倍も好奇心の旺盛な魔理沙にそれを無視出来る筈も無く、ひとまずは大いなる秘法の事を心の隅に置き、真言の記述に目を向ける。 「真言……その言葉を用いて、どんな事でも実現させてしまう最強分類の呪文。妖精戦争において……って、そんな事はどうでも良いか。えっと、七賢人の一人が……検便用の臀部に優しく貼る奴の名前……賢人会議はもう一人じゃない……」 魔理沙は読み漁るのを止めない。再び本棚から幾つかの書物を物色し、椅子に腰掛ける。 「ワケノシリンスは美味い……波をチャプチャプ掻き分けて……瀬戸の花嫁は極道人魚……I'll be back……蟹野郎は不味そうだけど相手をしてやる……妻のボルシチはココアパウダーと味噌ペースト……性欲を弄び、大佐に裏切られる……」 何時の間にか、彼女は賢者の石と全く関係の無い書物に読み耽っていた。無論、魔理沙自身がそれに気付いた様子は、全く無い。 「紅茶の砂糖は十三杯……赤薔薇は核ミサイルも何のその……そらそらティトゥスは後が無いぞ……虚言の夜は王子様……神父様は那由他の彼方で充分過ぎ……エースが沢山、生き残れ……吉永さん家の奥さんのマグナム・オペラ……」 読むのを止められない。羊皮紙もペンも、今の魔理沙の目には入っていない。 「デウス・エクス・マキナ……機械神父の散弾銃……少佐の狂った巨大飛行船……でっかいロボットでっかいお世話です……この惑星の住人はいちきゅっぱが大好き……世界は歌の様に優しくは無い……ドラゴンごろしは今日も往く……」 霧雨魔理沙は気付いていない。 自分の身が知らぬ内に、逃れ切れない知欲の糸によって、しっかりと絡め取られている事に。 「パチュリー。扉の施錠魔術、そろそろ開錠してくれないかな?」 「あら、もう良いのかしら」 「バッチリだぜ」 花咲くまでに満足な笑みを浮かべる魔理沙の姿を、パチュリーは半分だけ開いた紫の視線で凝視し始める。 黒い帽子、古びた箒、先程の革袋、可愛らしいエプロンのポケット、寂しいまでに絶壁の上半身。舐める様にじっとりと見つめるその姿は、無遠慮と言われても仕方ないまでに念入りな物だった。 「……珍しいわ」 「何がだ」 「貴方がコソコソと無断で、魔道書を持ち帰らない事が」 「私だって満腹になれば、家でゆったりと寛ぎたいんだ。なのに魔道書なんか持ってたら、重くて飛ぶのが面倒になるだろう?」 魔理沙らしいとも、らしからぬとも言える言葉に、パチュリーは知らず知らずの内に目頭を押さえていた。軽く視界が揺れたのは、眩暈以外の何物でも無いのだろう、たぶん。 「知識で満腹、ねぇ……それで、貴方はどんな事が分かったのかしら?」 「えっと、まず分かったのはだな――」 よくぞ聞いてくれた。そんな表情と雰囲気を惜し気も無く醸し出しながら。 「村長の奇妙な腹減った発言。実は逆再生すると『これから始まる物語は――』って言ってるんだぜ!」 晴れ渡る蒼穹の如く、魔理沙は快活に言ってのけた。 「…………はぁ?」 「さらに、人気シュミレーションRPGの続編! メイキングキャラクターの中でも人気のあった女性の侍が、選りにも選って出されて無いんだぜ! こんなの絶対に可笑しい、予約してまで買った金返せ! とまではいかないが、微妙に損した気分らしいぞ」 「ちょ、ちょっと魔理沙。貴方は一体、何を調べて――」 「そしてぇ! ハーフエルフの主神は、若さ故の過ちを認めたくない女々しい逆襲者なんだよぉ!」 遮りの言葉が、即座に遮られる。 この時、パチュリーは瞬時に悟っていた。得たばかりの知識を嬉しそうに披露する魔理沙を止めるのは、恐らく自分では不可能だろう、と。 「でな、パチュリー! 他にもまだあってな! 実は――」 そしてそれは、どうやら間違いではなかったらしい。 黄金色の髪と瞳に決して負けていない、明るく愛くるしくコロコロとした笑みを浮かべながら、魔理沙は嬉々として口を開き始める。 パチュリーは口を挿むのを諦め、黙って聞き流す事に決めた。 「じゃあ、私は帰るぜ! 乾かず飢えず、無に帰れぇっ! ……なんてな」 館の主が聞いたらインパクトォ!%凾ニ言って飛び出て来そうな事を叫びながら、魔理沙は箒で突き抜けて行った。 埃が舞う閉ざされた空間は、喘息持ちにはかなりの危険地帯。それを風の魔法で辛くも遣り過ごして、パチュリーは本日何度目かの深い溜め息をつく。 「……っていうか魔理沙。貴方、賢者の石はどうしたのよ賢者の石は」 絞り出た言葉の内容は、百人中百人が思うであろう、極々有り触れた物。 眩暈と共に、パチュリーは椅子にどっかりと座り込んだ。珍しく、呆れと疲れから来る複雑で色濃い表情を、如実に浮かべながら。 |
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