珈琲片手に彼は今日も往く



「――という訳で、最近は幻想郷にもよく、外の人間が侵入しているらしいのよ」
「おお、そーなのかー」

 得意気な表情で語るリグルの言葉に、ルーミアは瞳を輝かせながら、愛らしい満面の笑みで答えて見せる。

 二人が居座っているのは、焼き八つ目鰻が美味しいと評判の、夜雀自慢の小さな屋台。
 辺りはすっかり夜の闇に覆われていたのだが、妖怪でもある二人の少女にとってはこれからが活動時でもあるので、ほとんど気にも留めていなかった。

「おまけに最近は、宇宙人が調査に来ているって噂もあるしね」
「ほえ? 宇宙人?」

 右手に五本、左手に五本、と器用に八つ目鰻の串揚げを持ったまま首を傾げるルーミアを横目に、リグルは串揚げに齧り付きながら軽く頷く。

「――そ、宇宙人。何でも、月よりも遥かに遠くからやって来て、色々と調べて回っているらしいわよ」
「へぇー」
「それでね……あれ?」
「ん? どうかしたの?」
「いや、ちょっとその宇宙人とそっくりな人間の名前、忘れちゃって……」

 うんうんと眉間に皺を寄せて唸り始めたリグルを、ルーミアは串揚げを銜えながら待ち続ける。
 一本、また一本と信じられないくらいの速度で串揚げが消費されて行く様は、中々に見事な物があったのだが、それにも気付かずにリグルは尚も唸り続ける。

「えっと……確か、シューズとかジョーンとか言う名前だった様な気が……ジューン、ん? ジョーズ?」
「――ふぅ、ご馳走様〜」
「え?」

 不意に響いた満足気な声に、リグルは唸るのを止めて辺りをよくよく観察してみる。
 すぐに視界に飛び込んで来たのは、合計十本の何も刺さっていない串をお皿に綺麗に並べながら、満面の笑みで手を合わせているルーミアの姿。
 どうやら先程の短い時間の間に、全ての串揚げを平らげてしまったらしい。恐るべし、宵闇悪食妖怪の、底無し食欲。

「じゃあ、私は先に行ってるね」

 呆気に取られるリグルを尻目にルーミアはそれだけを言うと、何処からか勘定を取り出してカウンターに置き、ふよふよと何処かへ飛び去ってしまった。

「ちょ、ちょっと待ってよ! この話には、まだ続きがあるの〜!」

 多少乱暴にカウンターへと自分の分の勘定を放り投げると、リグルは手に持った串揚げもそのままに、慌ててルーミアの後を追い掛け始める。
 羽織った黒いマントを翻したその姿は、即座に夜の闇へと溶け込んで、見えなくなってしまった。

「まいどありー」

 後に残ったのは、夜雀が歌いながら経営する、焼き八つ目鰻が自慢の小さな屋台。
 軽やかに鼻歌を奏でながら勘定を数えるミスティアの頭の中に、先程のリグルが語った言葉の内容は、全く残っていなかった。





 ◆◆◆





『この惑星の住人達は、やはり何処か抜けている』

 嵐の様に過ぎ去った二人の妖怪を尻目に、屋台の隅でメモ帳に走り書きをする、一人の男。
 皺一つ無いグレーのスーツを一分の隙も無く着こなすその姿は、某隙間妖怪を髣髴させる程に胡散臭く、そして怪しい。

『それは此処、幻想郷という場所においても変わり無い様だ』

 そんな客観的事実など微塵も気にせずに、男は走り書きを続けながら器用に串揚げに手を伸ばす。
 齧り付いた時、多少の驚きに目を見開きながらも食べるその様子は、着こなしたスーツ姿に対して何処までも似合っていなかった。

『追記、八つ目鰻の串揚げは、非常に美味』

 いちいち事細かにメモ帳に記すその瞳に、ふざけた色は皆無である。真剣に探り続ける輝きだけが、そこには存在していた。
 口に広がる旨味と脂に言い知れぬ感触を覚えながら、男は串揚げを吟味していく。勿論、メモ帳への走り書きも忘れない。

『この幻想郷には、人間の他にも妖怪と呼ばれる者が存在している。人間より力は保持しているものの、彼らもこの惑星の人間と同様、何処か抜けている感が在るのは否めない』

 串揚げの残りへと齧り付き、充分に咀嚼してから冷酒を流し込む。
 油分に覆われていた口内を辛口で爽快な酒が流れ通って行く、筆舌に表せない程に曖昧ながらも脳天に刻み込まれるその感覚に、男は少しの間だけ身をゆだねる。
 数刻の後に、名残惜しそうに余韻から立ち直った男は調査の為、何気無い様子を装いながら鼻歌を歌い続けるミスティアへと声を掛けた。

「――邪魔をする様で悪いんだが、君達妖怪は人間を襲うらしいね。それは本当かい?」
「ん? 一応、本当だけど?」

 何故か疑問のイントネーションを付けながら、耳の羽をパタパタと羽ばたかせるミスティア。
 質問の内容が珍しいからなのか、はたまた男の格好が珍しいからなのかは分からないが、歌う事を邪魔された割りには何処か柔らかい対応だった。

「一応、か……君は人間を襲わないのか? 襲って食べるのが妖怪だと、私は聞いたんだが」
「気が向いたら襲うわよ、まあ食べる事はしないけどね。最近はわざわざ人間を襲うより、こうやって八つ目鰻を焼いて食べた方が、安全で美味しいし――はい、出来上がり」

 掛け声と共にミスティアは焼き上がった八つ目鰻を一口だけ齧ると、自身が仕上げた味に満足するかの様に、嬉しそうにやんわりと微笑む。余程美味しかったのか背に生えた羽と耳の羽が、小刻みに可愛らしく羽ばたいていた。
 奇妙に和むその光景に、男の口元は自然と綻んでしまう。と同時に、もう少しだけこの妖怪少女と話すのも面白いかもしれないな、と訳も無く思い付いていた。

「その焼き八つ目鰻を三本と、冷酒のお代わり。それを追加してくれ」

 だから男は、これも調査の為だと必要も無いのに言い聞かせながら、空になったグラスを差し出す。和風な屋台と洋風なスーツの組み合わせはどう見ても、やっぱり似合っていなかった。

「はいはい、まいどあり〜」

 そんな似合わない組み合わせを気にも留めずにミスティアは、じゅわじゅわと音を立て続ける焼き八つ目鰻を軽やかに手渡すと、今度は歌を口ずさみながらグラスに酒を注ぎ始める。
 可憐であどけないその姿を見つめながら、男は焼き八つ目鰻を一口だけ口に放り込むと、即座にメモ帳に書き記した。

『追記、焼き八つ目鰻も、非常に美味』





 ◆◆◆





「また、ご贔屓して下さいね〜」

 屋台の後片付けを終えたミスティアは、満面の笑みと共に何処かへと飛んで行ってしまった。
 聞いた所によると、これからしばらく休憩を取った後に、神社の宴会へと紛れ込む予定があるらしい。遠慮なく歌える事態に張り切る彼女の笑顔から、人間を襲い食す妖怪の姿を思い浮かべる事は、男にはとても出来そうに無かった。

「人間と妖怪か……なるほど、興味深い」

 呟きは、白み始めた夜空へと昇って行ってしまう。星が出ていて尚且つ明るい空の色は、美しくも尊い紫色に染まっていた。
 東の地平線から今にも解き放たれようとする陽の光を灯火代わりにしながら、男はメモ帳を開けると再び何かを書き始める。

『思った通り、此処の住人達は何処か抜けている。数人の妖怪とだけしか接触はしていないので詳しい事は分からないが、恐らく人間もそう変わらないだろう。他の場所の人間達がそうだったのだから、まず間違いは無い筈だ』

 感じた事と事実のみを書き記していく男の横顔に、特に何かしらの感情は感じられない。何処までも淡々とした色が、広がっているだけである。

『だが、違いが見受けられるのも事実だ。他の場所の人間達が、働く事に取り付かれ疲れる事を楽しんでいるのに対し、此処の妖怪達は、まさに自由奔放に生きていると言っても過言では無い。働く妖怪が存在するのも事実だが、他の場所の人間の様に取り付かれた様子は見受けられず、寧ろ、働く事そのものを楽しんでいる様子だった』

 すらすらと走り書きをしていた男の手が、自然と止まる。
 彼の脳裏に浮かぶのは、朗らかに笑い軽やかに歌う、羽の生えた屋台の妖怪少女。疲れを楽しんだ時の人間達に似ている、だが決定的に何処かが違っているという事実が、男にはすんなりと理解出来ていた。

『この件については、まだまだ調査の余地が必要であると、私は考える。此処、幻想郷はどうやら他の場所とは決定的に違う、何かが存在している様だ』

 不意に、そこまで書いていた男の身に、優しくも存在感の在る光が降り注ぐ。
 手による影で、瞳を保護しながら振り向いた男の先に構えていたのは、白とも橙ともつかない色を放ち続ける、暁の太陽。

「夜明け、か……」

 うっすらと陽を見つめる男の手には、何時の間にかスーツのポケットから取り出していた、一本の色鮮やかな缶珈琲。
 ぷしゅり、と小気味良い音と共にタブで蓋が押し開けられ、辺りに漂い始める何とも言えない芳醇な香りが鼻腔をくすぐる中、男は遠慮なく缶を口元へと運び香り諸共ゆっくりと嚥下する。
 口内に広がるのは、夜を過ごし朝を迎えた頭には丁度良い、香り豊かな深い苦味。男はそれを、惜し気もなく味わい尽くしていく。

 やがて飲み終えると同時に男は、器用に腕と身体で空き缶を挿みながらメモ帳を取り出して、何かをさらさらっと書き足す。
 そして、それを見届けて静かに頷きメモ帳を懐のポケットに仕舞い込むと、今度はこちらを見下ろし続ける朝日に向かって静かに歩き始めた。
 この星に住む様々な者達の調査を行い、その結果を本国へと転送し続ける事。ただ、それだけの為に。

 男が、暁の太陽を見つめながら、メモ帳に書き足した文章。
 そこには、こう書かれてあった。





『追記、この惑星の夜明けは、やはり美しい。そして、幻想郷の自由奔放な妖怪達も、実に美しい』




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