例えば『箱』という言葉は、密閉された空間――或いは、閉ざされた空間といった意味合いにおいても、度々、使用される事があるわよね。 まあ、元々の『箱』という言葉が既に、簡素な密室を意味しているのだから、それも当然なんでしょうけど。 そこへいくと『箱庭』という言葉も、その中の一つかも知れないわね。 閉ざされた楽園、小ぢんまりとしたお庭、管理される美の具現化……言い方は幾らでも変えられるだろうけど、本質は恐らく変わらない。 この場合、第三者によって付けられた名前は、あまり意味を為さないと思うのよ。 少なくとも、私はそう思っているわ。 ほら。 名前って、誰かにとっては何物にも代え難い大切な物だけど、別の誰かにとっては忌み嫌われる物でもあるわよね。 親から受け継いだ立派な名前だと誇りに思う事もあれば、幼い頃に友人一同から酷い仇名を付けられた事による憎しみを覚える場合もある。 名前というのは恐らく、確固たる一面を持っているけど、逆に酷く曖昧な一面も持っているのでしょう。 その点は、常識なんかも似ているわね。 古くから伝わる常識、目に見えて他と変わらない無難な常識。 ある者には臆病だとも取れるし、又ある者には堅実だとも受け取られる。 逆に、常識を覆そうとする行為の評価も、大きく二つに別れるわ。 型破りの猪突猛進なタカ派。或いは、新しい時代の風雲児。 常識に対しての捉え方もバラバラなんだから、その常識の逆――つまり、非常識に対する捉え方もバラバラになるのは、所謂、当然の結果。 極々、自然な流れなのよ。 どちらも各々なりの考え方を持つが故に、譲り合うのはとても難しい。 それこそ、両者が共に納得、もしくは妥協をするかのような名案でもなければ、ね。 さて、ここに一個の箱があるわ。 中には何も入っていない。美しい箱庭でも無ければ、密書の隠された重要な物でも無い。 正真正銘、紙で出来た普通の小箱。 うふふ。不思議そうな顔をしているわね。別にからかっている訳じゃ無いのよ? ただ、今の貴方はこの箱も、そしてこの箱の中を見れるという事を、知っていて欲しいの。 ――んもう、ちょっとは辛抱強く待ちなさいよ。誘って来たのはそっちでしょう? ほら、座った座った。お姉さんの話は、ちゃあんと聞きなさい。 ね? それじゃあ、話を元に戻すわね。 例えば、この箱が今の常識の世の中から急に非常識の世界へと転がり込んでしまったならば、貴方はどうなると思うかしら? 見えなくなると思う? 今と変わらず、見えるままと思う? 仮に見えなくなったとすれば、それでも前と変わらずに触れられる? 触れられずに、何も無いのと同じように素通りしてしまう? 或いは、この箱が別の物に変化するのかしら? 生き物に? 死に物に? それとも常識から外れるから、やっぱり常識では考えられない、出鱈目で滅茶苦茶なモノ? ……成る程。 見えなくなり、触れる事も出来なくなる。 それが、貴方の答えね……まあ無難であり、一番可能性の考えられる答えよねぇ。 常識という名の『箱』の中で生活するにおいては、精一杯の妥協であると思うわ。 大きかれ小さかれ、人は何かしらの当たり前に縋っていなければ、生きていけないのは事実なのだから。 そう、先程も言ったように人によって常識というのはバラバラだけれど、それでも常識の外に出てしまうという事は無いと、私は思うの。 或いは常識という言葉こそが、何らかの『箱』や『箱庭』を意味しているのかも知れないわね。 自身で一定の部分までを整えて、無意識の内にしっかりと管理を続ける。 だからこそ、常識外れの脅威、もしくは奇跡なんかを見た時に、人は惚けたように佇んでしまうのかも。 内に潜む『箱』とか『箱庭』が、拒絶するか受け入れるかを見定めるのに、珍しく意識を傾けて躍起になっているから…… 何て言うのは、やっぱり常識外れな意見なのかしら? ……うふふ、正直な意見をありがとう。 でもねぇ。 貴方だってそれなりに、常識から外れた部分は持っているんじゃなくて? だってそうでしょう? 感情的に敵対し合う二つの勢力に、選りにも選って同盟を結ばせてしまおうと考えるだなんて…… 充分、常識外れだと思いますわよ? ……あら、意外と驚かないのね。 もうちょっと慌てたり、その腰に下げた物騒な物を構えたりするのかと思ったのだけれど。 うふふ、でも今の貴方の顔は、見違える程に怖くなっているわ〜。お姉さん、思わず泣いちゃうかも〜……よよよ。 まあ、貴方に害は無いから安心して頂戴。こう見えても、話を聞いてくれた人間は、結構好きな性質なのよ。 それに、常識という『箱』を破ろうと躍起になる、珍しい人間も、ね。 じゃあ私は、これで失礼するわ。たぶん、二度と会う機会は……もしかしたら、あるかも知れないわね。 貴方が同盟を結ばせて、常識で見え見えの『箱庭』から、非常識で不可視な『箱庭』へと転がり込んだら……うふふ。 それでは、御機嫌よう。 余計な御節介でしょうけど、奥さんは大事にね。 ……久々に会いに来たけど、眠っているんじゃ仕方ないわね。 でも、タダで帰るのは何だか癪だし、この刀をお土産として貰って行くわ。 どうか、悪しからず。 あ、そうそう。この小箱は、私からの餞別。 要らなくても受け取って頂戴ね。 四人、五人、六人、と。 どれもこれも、妙に筋肉質でいまいち美味しく無さそうだけど……この際、贅沢は言えないわよね。 あの量なら、二週間くらいは晩御飯に困らなくて済みそうだし。 ……うん、そうと決めたなら早速。善は急げ、よね。 それ、とつげき〜。 これで、最後ね。 食料調達も終わったし、そろそろ帰ろうかしら。 ――私にとっての『箱庭』に。 うふふ。 |
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