『動く仏像に追われているので助けて欲しい』 開口一番、水色の奇抜な衣装に身を包んだ河童は、息を弾ませながらそう言った。 昨今の河童は、随分と下手な冗談を言うようになったものだ――これが、伊吹萃香の正直な感想だった。 寝床として昨晩から世話になっている、小さな洞穴の中。一人だけの気ままな酒宴にも少し飽きたなと思った丁度その時に、飛行する勢いもそのままに突っ込んできたのが、この河童、河城にとりである。 別にユーモラスを期待していた訳ではないのだが、何しろタイミングが良かった。 それもあって、鎌首をもたげ始めた好奇心をやんわりと抑えながら、この河童が一体どんな面白いことを持ち込んでくれるのかと、萃香は楽しみにしたのだが…… 「ふーん、頑張って」 「げげ、もしかして信じてない!?」 ツインテール、と呼べば良いのだろうか。それぞれ両端に結った髪の束が、にとりの動きに合わせて大きく揺れる。 それが自分の印象をより一層幼いものとしていることに、果たしてこの河童は気付いているのか――そんなどうでもいいことを、萃香は何とはなしに思った。 「いや本当なんだって! さっきもあのでっかい三叉戟が、私の自慢の光学迷彩スーツを――」 「おー、そこまで頑張ったんだ、偉い偉い。でも面白くないから全然駄目だぁね、もっと頑張りなー」 「だぁあ〜!? ちょっとは信じる気になりなさいよ、この鬼ぃ!」 「嘘は嫌いでね〜」 のらりくらりとした調子で返す萃香に、必死の形相でお釈迦となった光学迷彩スーツを振り回すにとりの相手をする気は、どうやら既に欠片も無いらしい。 寝そべって瓢箪の中身をぐびぐびと嚥下し、ぷはっと酒臭い息を吐き出す。 その自らの一挙一動に対してわざわざ満足気に微笑んでから、萃香は二杯目を仰ごうとした。 そんな鬼の様子が一片したのは、河童がさらに声を荒げようとした、その直前だった。 「――なるほど、確かにでかい」 瓢箪を傾けようとした手を止めて、小さな鬼はその瞳をうっすらと楽しげに細める。 大地が鳴ったのだ。 地震ではなく、何か巨大な物に踏み付けられる、その轟力によって。 「昨今の河童は、随分と物騒な輩を扱うようになったんだねぇ」 「技術は常に進歩し続ける訳だから……それもまあ、至極当然ということよ」 瓢箪に栓をして起き上がった萃香に、いそいそと帽子を整えながらにとりが続く。 二人の耳朶を打つのは、洞穴を通り抜ける風の音と、二人分の小柄な人型が歩く軽やかな足音。ひとつ分の大柄過ぎる何かが歩く重い足音。 そして――無機物が奏でる、あの独特で少々耳障りな、リズミカルな駆動音。 「ま、私としてはそれで構わないんだけど。むしろそっちの方が、腕試しには丁度良いからなぁ、んふふ」 勢い良く鼻から息を吹き出すとともに、萃香は身体をほぐすように背筋を伸ばす。 酒臭い息こそそのままなものの、にとりから見えるその横顔に、酔っ払い特有の鮮やかな赤味は微塵も無い。得体の知れない喧嘩相手に対し、それでも己の力量を過信以上に信用しているガキ大将の笑みが、そこにありありと浮かび上がっていた。 伊吹萃香。 鬼である彼女の真髄は、やはりその腕っ節にあると言えよう。 「……要するに、喧嘩馬鹿ってことか」 「河童みたいに逃げ腰じゃないだけ、それよりも上等だろう?」 呆れたように呟いたにとりを尻目に、萃香は口元を楽しげに歪ませながら、洞穴の外へと飛び出した。 薄暗かった視界が明るく開け、見下ろすようなかたちで緩やかな斜面が広がる。 妖怪の山とは別の、何処にでもある普通の山の中腹――そこが、この洞穴を見つけた場所だった。周囲には背の高い木はひとつも自生しておらず、乾いた山肌の所々に、小さな緑が見える程度である。 そんな、視界の開けた場所だったからこそ。 自分を見下ろすようにして仁王立ちする巨大な影に、萃香はすぐに気付くことが出来た。 大きい。 恐らく三メートルはあるであろう筋骨隆々のその身体は、鮮やかな色彩の施された大陸風の鎧で、仰々しく覆われている。 そして右腕に握られている長大な得物――先程、にとりが『三叉戟』と言っていたものだろう。金属特有の鈍い光沢を放つそれの破壊力は、使い手の長身やそれに匹敵する得物自身の大きさを鑑みれば、想像するのは難しくない。 幾多もの戦乱を、その武勇に任せて生き残ってきた、歴戦の戦士。 静かに何かが駆動する音を響かせながら、巨大な人型はそれを思わせる出で立ちで、萃香を見つめていた。 「……仏像、って聞いたんだけどなぁ」 堅牢な兜の下から覗く、険しい光を湛えた瞳。それを睨み返しながら、萃香は乾き始めた唇をちろりと舐める。 春が近付いて来たとは言え、暦の上ではまだ冬である。山肌を滑るようにして過ぎていく風はまだまだ冷たいものであり、色素の薄い青空とも合わさって、どこか味気の無いものを感じさせる。鼻腔の奥を突付いてくる冷気も、霜の香りが色濃い。 「千の手を持つ相手に、どうやって立ち向かうべきか……そんなことも考えていたんだけどねぇ。どうやら、それも徒労に終わりそうだ」 だがそれでも、萃香の笑みは決して消えない。 移り変わる季節程度で。 勝負相手の姿形程度で。 そんな些細なことで、鬼の激情は吹き消せない――そう言わんばかりの仁王立ちで、自身より遥かに巨大な影へと対峙し続ける。 「――河童、ひとつ質問だ」 「ご自由にどうぞ〜」 洞穴の影から、声だけが返ってきた。 「限度はどのくらい?」 ほんの少しだけ苦笑してから、萃香は簡素に問い掛ける。 それに対して、洞穴の影に隠れているにとりは、しばし答えに窮したかのように黙っていたのだが。 「――修理して動くようなら、それで良いよ」 「そうかい」 溜め息とともに返ってきた答えに、萃香は嬉々として応じる。 そして両手を握り締め、一際大きく息を吸い込んでから――何かに弾かれたかのような勢いで、巨大な人型に向かって飛び掛かった。 ∇∇∇ 結果から言えば、その戦いはすぐに終わった。 巨大な影が衝撃で宙に浮き、鬼はそれ以上に吹っ飛ばされて。 随分と物騒な出来事が起こりながら、それでもその戦いは、半刻と経たない内に終わった。 鬼は片膝をついて息を弾ませ。 巨大な人型は大地に倒れ付してもう動くことも無く。 戦いの終わったそこは、気が付けばいつもと変わりの無い落ち着きを、取り戻していた。 あの耳障りな駆動音は、もう聞こえない。 ∇∇∇ 「これはまた、派手にやったもんだね〜……」 足元に落ちていた鎧の欠片を拾い上げながら、にとりは溜め息混じりに呟いた。その隣では、あの長大な三叉戟が墓標を思わせる有り様で、大地に深々と突き刺さっている。 巨大な人型――そいつは、所々に見るも無残なひびを穿たれて、萃香の隣に横たわっていた。 「ま、相手が相手だったから」 出会った時と同じように、寝そべって瓢箪を傾けながら、鬼はにべもなく答える。 早くも酒臭い匂いで溢れ始めたその身体は、しかしながら擦り傷や焦げ目などがあちらこちらに見受けられており、とても無事とは呼べないような状態だった。心なしか、酒を楽しんでいるその笑みも、何処か無理をしているように見える。 「――しかしまあ、随分と物騒な代物だね、こいつも」 一際大きく、ぐびりと喉を鳴らして、萃香は立ち上がる。 うっすらと瞳を細めて見下ろした、その先――横たわる巨躯のひび割れた箇所から覗いてる、複雑に入り組んだそれを見つめながら、鬼は言葉を続けた。 「仏像に埋め込まれた人工物、か……これまた訳の分からんものを、人間は造るようになったものだ」 微細な火花を散らしている欠片のひとつを、萃香はしゃがみ込んで手に取る。 ほんのりと温もりの残ったそれは、想像以上に重い。掌に収まりながらもずっしりとしたその重みに、何故だか溜め息がこぼれた。 「……あんたも思わないかい? こんなものを造るのは、変だって?」 「思わないね」 欠片を投げ捨てた萃香の問いに、にとりはきっぱりと答えた。 「手作業で造り出したのは素晴らしくても、機械で造り出したのにはそれほど価値は無い――いやはや、悲しい限りよね。何処も彼処も、そんな考えばかりになったんだから」 思わぬ答えに面食らった鬼を尻目に、にとりは慣れた手付きで、散乱する欠片の一つ一つをリュックに詰めていく。 その姿に、自分の言ったことを疑う様子は少しも無い。 「さっきも言ったわよね、技術は進歩し続けるって。あの言葉のまんまよ、技術は常に前へ前へと動いているわ。それこそ、大妖怪の妖術とかそこら辺に匹敵するくらいに……この調子だと、もしかしたら追い越されるかも知れないわね〜」 鼻歌でも歌い出しそうに嬉しそうな顔で、にとりは散策を続ける。 いつの間にか軍手を嵌め、忙しなく動き回るその姿は、まるで水を得た魚のように活き活きとしていた。 「――でもさぁ、それこそ最初の最初まで突き詰めていけば、人工物だって誰かの手が無きゃ造られなかった訳よ。どれだけ便利で面白くなったって、結局は誰かが背中を押してあげないと、お話にならない。昔のそれを考え出した人間が、便利になるといいなぁ手間を無くして誰かを助けたいなぁ、とかそんな考えを持って発明してきた訳だからね。そうすると、人工物に有り難味が無いとか言うのも可笑しいと思うのよ、何処かで誰かが汗水垂らしていたのには変わりないんだし……まあ、汗水を垂らすその度合いは、変わってくるのかも知れないけど」 欠片を拾い集めるその手が、不意に止まる。 「聞いた話だけど――仏像って、その時代その時代の人間が出来うる技術を、最大限に利用して造ったらしいんだ。ここに倒れているのみたいに、色だって塗っていたものもあるんだって……その気持ちに、疑いは無かったんだろうね。自分達が出来うるもの、持っている技術を最大まで使って、ここにこれを残そうぞ!≠チてな感じでさ」 粗方、詰めるべき物を詰み終わったのだろう。リュックを背負いなおしながら、にとりは萃香に向かって振り返る。 それぞれ両端に結った髪の束が、水のようにふんわりと揺れた。 「別に良いじゃない。機械も彼らの技術なんだから」 「……まったく。相変わらず変な考えだね、河童って」 「鬼の考えと比べたら、今の幻想郷は変な輩ばっかりさ……そうでしょう?」 「ああ、違いない」 河童が微笑み、つられるように鬼も微笑む。 二人の耳朶を打つのは、冬の寒さを色濃く残す風の音に、遠くから聞こえる鴉の鳴き声。 あの耳障りな駆動音は、もう聞こえない。 |
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